ふっか~10年も経ったんだってハハハ

深澤辰哉さんのファンになって10年が経ちました。

激重ファンなので10周年迎えて言いたいことがあふれ出してツイッターで全部並べたらフォロワーさんがかわいそうと思ってブログを作ってみました。( ´ ▽ ` )ノ

語彙力ZERO文章力ZEROのくそ長い独り言。

 

ふっかに対する愛が本当に重いのでこんなにふっか中心に10年間も生きてきたなんて恐ろしい。でもできるだけ軽く明るい感じで話してみよう(笑)

 

あ、もし万が一私を知らない方が読んでくださってるとしたら先に言っておくべきことは、私はフランス人です。フランス生まれフランス育ちの普通のフランス人。ふっかを好きになった時はフランスにいたし日本語もあんまり話せませんでした。だから日本の10年ファンとは経験が少し違っててそれもちょっと伝えたかったのかな。気持ちはただのオタクですけど。

 

ふっかのファンになったと同時にスノーマンのファンにもなりました。

そういえばスノーマンも10周年をこの間迎えましたね。Snow Manはまだ10年ではないとしてもスノーマンの歴史は10年前に始まりました。Mis Snow Manだってスノーマンと呼ばれていましたからね。スノーマンと呼ばれていたからSnow Manにもなった。5月3日は大事にしてる日でしたけど「結成日」というより「復活日」という感覚です。

そしてこのタイミングでスノーマンの新しいページがめくられた。

 

それでは、ちょう個人的な視点でこの10年間を時系列的に振り返ってみます。

 

2008年後半にジュニアを好きになって雑誌を見てたら大体ジュニアBOYSというのが載ってました。なんでこのかっこよくもない人たちが全部載ってるの?!というのが第一印象でした(ごめんなさい)。本当に最初はぶさいくばっかだなと思いましたw(ごめんなさーい)。ある雑誌で見たふっかはなぜか内くんに見えてそこで名前を覚えた(当時NEWSファンで内くんが復活ライブをやってた時)。

少ししたらふっかのことはこの中で一番ぶさいくではないとも思うようになった。少クラのバックでも気づくようになった。また少ししたらふっかの顔がほぼ完ぺきだけどなんかずれてるとまで思うようになった(褒めてるのか褒めてないのか)(でもふっかの顔がタイプだってことだったなと振り返ると思う)。3誌いつも載ってて少クラ出ずっぱりでどんどん好きになりました。当時のジュニボ本当に少クラでどこでも出てる便利屋でした。

でも好きになってもジュニボのイメージはバックダンサーでしかなくて、のんさなと一緒に推され始めた時はすごく戸惑いました。TOP3の時ははっしーが引っ張ってたのにのんさなにはジュニボを引っ張れるのかなと心配もしてた。

同時に06年あたりの少クラを見てたんですけどHey Say JUMPのファンでもありJ.J.Expressに興味を持ってそこにふっかがいたことを知りさらに好きになりました。ふっかが出たジュニアにQを見て友達に「ふっか~あの子好きなんだよね~」というコメントをしたそうです(全く覚えてない)。

 

2009年

まだジュニアのファンになって間もなくでしたし日本語もあんまりできなかったので滝沢革命のレポは全く見てなかったためMis Snow Man結成は遅れて知りました。たまたま2月(3月放送)の少年収のレポが英語で訳されたので読んだらのんさなジュニボが新しいグループで新曲も披露したと書いてありました。すごく楽しみでした。そして気づいたらわくわくしてた2週間はほとんどふっかのことしか頭になかった。

少クラの放送が3月1日でしたけどフランスからすぐ見ることができなくてうずうずしてたら、その日の夜に夢にふっかが初めて登場しました。なんかお兄ちゃんみたいな役でした。起きたら「あ、好き」って思って、ふっかのことが特別に好きになった。気持ち悪いねーすみません。本当に急にハッとランクアップした感じ(笑)当時は結構DDな感じでしたのでとりあえず特別に好きな人が増えたという認識だけでしたけど。

まだ日本にある「担当」文化のことがまったく知らなかったのでこれで担降りしたと当時は全然言えなかったので後から担降りをこの3月1日にしました。間違いなくこの日にふっかが特別な存在になった。

No more waitが見た過ぎて初めて見たのがくそ低い画質でほんと心が強かったなと今思います(笑)なのにこれを見てすぐ「Mis Snow Manのファンになる!」と思いました。かっこよくて!!ほんとかっこよかったんです!!!

ちなみにそのくそ画質がこちらです:

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野澤くんが好きな友達がいて一緒に新しいグループを応援するのすごく楽しかったです。

09年のスノーマンは少クラにたくさん出て雑誌もたくさん出て将来への希望がたくさんありました。

ドリボのフォトセットを買うことができて初めてふっかのグッズを手に入れてうれしくてうれしくて。写り最悪だったのに。

革命や滝ソロで少しスノーマンが声を発することがありましたけどフランスからは聞けず、初めてスノーマンの声が聴けたのは亀のラジオでした。本当に本当にありがとうございました。自担の声を初めて聞くのはこんなに気持ちいいことなんだと自分でも驚いた。ふっかの声の認識は06年ジュニアにQの声変わり真っ最中の声で終わってたのでめっちゃイケメンの声に聞こえたwふっかの声ずっと大好きです。

あんなに好きだったのに声も知らなかったんだって今思うと不思議。今はふっかの声が聞こえたらすぐわかるんだね。歌声もわかるようになったんだね…

 

2010年

まだ順調に少クラに出てる。でもじょうじょうに出番が少なくなって悔しくなる。

滝沢歌舞伎出演。なんかわからないけどすごくわくわくしてたな。演舞城のDVDを見てスノーマンも出てないのに好きだったからスノーマンが出たらもっと好きと思ったのかな。見れたわけないけど。DVDも見まくりました。

みんなクリエに来てクリエ。えびとThey武道と一緒に初めてのメインライブ。行きたかったなーー。初めて本格的に日本語でレポを読むようになったのはこのクリエ。ブログを巡ってMCやコントを一所懸命想像して。楽しそうだったな。

4人が少クラでやまぴのOne in a millionのバックをやって見まくったな。めっちゃかっこよかった。正直やまぴのライブでダンサーがバックをやってるところを見て、高校生のスノーマンも全然負けてないと思いました。今も大好き。これで一段とふっかのダンスがうまくなったと実感した時。青ベロア懐かしいですねー

ここで滝チャンネル開設で早々スノーマンのメイン企画のドッキリが放送される。まず、外国でも日本と同じく見れるコンテンツができたのはすごくうれしかったね。さらにそこに大好きなスノーマンがこんなにも映るなんて本当にうれしかったです。号泣のスノーマンを見るのはいつもなんだか苦しかったけどこの企画はずっと好きです。まずおもしろい企画にスノーマンを使ってもらってたくさんの人に知ってもらういいチャンスだったしタッキーの愛ある説教だったし好きなグループの号泣姿はそんなに見れなかったのでありがたかったです(笑)ふっかの泣き方が美しかったー

夏のソロツアーと秋のタキツバツアーさらに愛はタカラモノで大変タキツバにお世話になった年でしたね。(まぁ10年間ほとんど毎年大変お世話になったけど。)

 

2011年

HOT SNOW発表されてびっくり。あんまり推されてなかったのでまさか映画作ってもらうとは。いつか嵐みたいに全員で映画とかに出れたらいいな~とすごく遠い夢みたいに言っていたことが早速叶った。と思ったら大震災で延期になった。関係ないかもしれないけど同時にスノーマンに変な風が吹き始めた。歌舞伎では「真田、野澤、Mis Snow Man」と微妙な差別で紹介されるようになった。この時点で少し嫌な予感がしました。続いてのクリエでは8人全員出てるのにのんさなとすの6で衣装と出番が違って、Mis Snow Manというグループ名がタブーになったみたいに誰も口に出しませんでした。少クラにも出なくなった。でも滝チャンネルや雑誌ではまだMis Snow ManでしたしHOT SNOWの上映がまだ残っていたので心配でもまだグループは存在していた。

ホッスノ初日舞台挨拶、ひとつめは8人がMis Snow Manとして普通に紹介されるみんなハッピー。ふたつめに気づいたらのんさな以外の6人しかいなかった。のんさなはキスマイのコンサートに行ってきたと。自分の主演映画よりキスマイのバックのほうが大事なの?!ってびっくりしたな。私は舞台挨拶に参加できなかったので曖昧ですけどお客さん呆然としてすの6に心配な空気が渡ってた気がする。ほんと私には意味不明な状態だった…キスマイの次の公演からすの6も参加するのかな?とか思ったり。そんなことはなくすの6の夏は嵐と花火大会のみでした。

 

ちなみに個人的には2011年は受験準備の大学に入っていて(フランスの大学システムを略しておく)とにかく勉強がハードな時期でした。私生活は基本最悪でしたので自分の楽しみはスノーマンの活躍だけでした。だからスノーマンの状況が悪くなったら本当にずっと苦しかった。

で、2011年の夏に初めて日本に行くことになりました。ふっかに会うことを励みに全力で勉強して臨んだ初日本旅行、ふっかに会うことができずに終わりました。もうちょっと頑張れば花火大会には行けたんじゃないかなと今は思うんですけど当時はチケットの購入方法がよくわからなかったしお金もそんなになくて断念。あんなに大好きなふっかにずっと会いたくてやっと会えると思ったら会えなかったのは本当に苦しかったですね。しかもスノーマンがあんな状況でMis Snow Manを生で見ることが一生ないんじゃないかなという悔しさも。

でも追加上映が決まってホッスノだけは見れました!夢の主演映画を映画館で見れるのは救いでしたね。4回見に行って同じ映画を映画館で見た回数ずっと自分的記録でしたwその記録が更新されたのはLast Holdです(笑)

 

9月になってのんさながnoon boyzとして笑っていいとものレギュラーになった。Noon boyzってなんだよってね。同じタイミングで阿部ちゃんは休業した。のんさな少年たちすの5ドリボで現場が分かれた。雑誌もMis Snow Manを載せなくなった。でも滝チャンネルにまだMis Snow Manが残ったり解散見えてたけど何もはっきりしてなくて当時は本当に毎日鬱でした。いつかまたMis Snow Manが見れるのか。メディア露出が少なくなってふっか不足も悪化してきた。

 

2012年

滝沢革命初日、すの5は「岩本たち」と紹介された。Mis Snow Manは本当に終わったなとやっとはっきりされた。泣きましたね。もうそのままどんどん仕事が少なくなっていつか消えていく。少なくともフランスにいる私はもう動いてる姿が見れなくなる。そう思って涙が止まらなくなった。タッキーがいなければ本当にそうなっていたかもしれない。ふっかが見れなくなることが苦しかった。

HOT SNOWのDVDが無事出ました。カバーはほとんどのんさなだけで”noon boyzとジャニーズJr”になっていた。悔しい。8人の大事な映画が。でも映像にはMis Snow Manという名前は普通に残っていてこれがMis Snow Manの映画である証拠が残って安心した。特典映像は最高だった。やっぱり8人の雰囲気は大好きだった。

滝沢歌舞伎で阿部ちゃんが戻ってきた。阿部ちゃんが戻ってくることはずっと信じていた。そこだけはなぜか不安はなかった。半年休業した阿部を含めてすの6は全員前よりいい役をもらったのにふっかは3年連続の農民だった。本当に悔しかった。

5月3日のことはよく覚えている。ちょうど4月末から受験の本番だった。集中が切れないように、ジャニーズのことは一切見ず、友達には「いいことも悪いことも言わないで。すごくいいことだけ言ってくれ。スノーマンが戻ってきたとか。」と伝えていた。3日に試験に入る直前に野澤担からメールが来た。歌舞伎で6人はSnow Manとして紹介されたと。6人だけなのか、のんさなも含まれてるのか何も把握できなかった。長い間少し複雑な気持ちだった。6人はなくなることなくグループとして居続ける喜びと安心。でもMis Snow Manが大好きで8人一緒に戻ってほしいとしばらく願ってきた。いいともの仕事が終わればのんさなは戻ってくるんじゃないかなとか。昔書いたツイートを読み返して印象的だったのは「ぬんぼもスノーマンも好きだけどやっぱこれからもずっとミススノーマンが一番好き」。年末くらいにはもう6人のスノーマンを完全に受け入れてきたのかな。

12年の前半は仕事はたくさんあったけど雑誌やテレビはほとんどなかった。3月にスノーマンがABC-Zの歌番組のバックに出た時はふっかを久しぶりに見た印象でした。そして次に踊ってるふっかが見れたのは7月にえび座のDVDを見た時。あとはレポと写真で生きてることを確認。動いてるふっかの姿を見るのは本当に指に数えられるくらいの回数しかなかった。辛かったなー。でも大好きな気持ちがずっと弱まることはなかった。

夏に再び日本へ行きました。滝ソロでの出演も発表された。確実にふっかに会える。やっと。あの頃のすの担は生な姿を見てファンになった人がほとんどだったので3年間ファンやっててもまだ自担に会ったことない人は珍しかったwでもやっと会えると思ったら滝ソロはうちわ禁止で絶望しましたね。やっぱりふっかからファンサほしかったですねw実際に初めて生のスノーマンが見れたのは花火大会でした。隣に座っていた方に「I’m so excited!!」を連発したことはよく覚えてますw本当に興奮しましたね。ふっかは全くこっち側に来てくれなかったw滝ソロでやっと近くで見られてむしろリアクションが無すぎて友達はがっかりしたんじゃないかな。実感が全然湧かなかったと思う。目の前にふっかがいるというのが不思議すぎて。ふっかが生きているというだけで感無量だったのでかっこよかったかどうかはよくわからなかった。でもあの夏の髪は本当に死んでいたね。

ふっかは女装とかで3枚目のポジションになった。全然違和感はなかった。なんとなくふっかはそういう人だと感じていたと思う。でも私はかっこいいふっかが大好きだったのでかっこいい見せ場がなくて悔しかったな。

Missing Pieceでたくさんテレビに出られてありがたかった。

そしてふっかが「花のズボラ飯」に出演するのが決まった。あの時のふっかはいつも端っこにいた。名前の順番では最後は阿部かふっかのどっちか。そんなふっかがドラマに出られるなんて夢すぎて本当にうれしかった。そこからふっかが推され始めるなんて全く想像しなかった。

 

2013年

ジャニワでふっかは岩本のシンメに戻って真ん中になった。謎選抜になった。CMに出た。連ドラにも出られた。

歌舞伎で三郎役をもらった。佐久間か翔太がもらうかなと思っていてふっかがこんな大役をやるなんて想像もしなかった。ふっかも今でも語り続けるほど大変でも貴重な経験だった。でも私はフランスにいたので見ることができなかった。DVDもない。これは今でもすっごく悔しいです。周りの深澤担が話すたびに本当に悔しいです。見たかった。

クリエでSnow Manは初めての単独ライブをやることになった。スノーマンの初めての単独ライブも行くことができなかった。またまた悔しかった。ずっと夢見てきた単独ライブ。

ふっかは謎選抜と一緒にまた少クラに出るようになった。歌って踊って動いてるふっかがまた定期的に見られてうれしかった。

Snow Manとして全然少クラにも雑誌にも出てなかった。岩本担の友達は「スノーマン全員じゃなければいわふかにも出てほしくない」と言ってきたこと覚えてる。私は複雑な気持ちだった。もちろんSnow Manが一番よかった。Snow Manがずっと一番よかった。でもふっかだけでも見られてうれしかった。そして全くメディアに出ないより、いわふかを見て気になってスノーマンにたどり着ける人もいるんではないかと信じていた。いわふかもスノーマンが一番というのが伝わっていた。でもそれは深澤担の気持ちでしかなかった。

また夏に日本に行って、またほとんど会えなかった。花火大会だけ。ふっかが週刊誌に載ったことは大きいショックだったけどそれについてはここで話したくはない。ショックでも結局ふっかは大好きだった。花火大会だけでなんとか会えてまたフランスに戻った。

ふっかがいきなりこんなにも推され始めたのはすごく戸惑いました。なんか申し訳ない気持ちもありました。なんでふっか…なんでいきなり…ふっかが嫌われないかも不安でした。なんとなく岩本がセンターになった時は納得しかなかったのにふっかが推されたら戸惑った。もちろん私はすごくうれしかったですけど。

 

2014年

スノーマンはまだ少クラや雑誌にほとんど出なかった。でも滝チャンネルでたくさん出てたので少し不足が大丈夫だった。滝チャンネルではいつまでもスノーマンはスノーマンだった。

今度はテレビ番組ガムシャラの企画でいわふかだけが出ることになった。チーム我として夏のライブに出る。ほかの4人はキスマイのツアーにつく。謎選抜とは違っていわふかがシンメだったことは大きい安心感があった。

その夏は北海道でインターンシップをしてきた。(はい、お気づきの通り毎年夏に日本に行っていたw)正直福岡まで行ってドームコンサートを1回だけ見るより東京でふっかに数回会えることがすごくありがたかったです。急遽友達にうちわを借りてファン歴5年で初めてふっかのうちわを手に持った。

ドリボも初めて見ることができた。オープニングのスノーマンを見て泣きそうになったことは覚えてる。

いわふかはまだ時々少クラに出てた。タキツババックのためにすの6人が来ていたのに残りは二人だけで出てたのは意味わからなかったですね。

スノーマンが干されていた時期、ファンは雑誌のアンケートに答えたりグッズを買ったりいろいろ頑張ったようですね。私は何もしてあげられませんでした。グッズをひとつずつ買うだけでも精一杯でした。(グッズを買って送り続けてくれた友達に本当に感謝している。)ひとりで悔しがるだけ。本当に無力なファンでしかなかった。

 

2015年

スノーマンのスケジュールはなんとなく決まっていた。1月に帝劇、春は歌舞伎、夏はライブのバック、9月はドリボ、その間にえび座とかのほかのことも。少クラと雑誌にもう少し出れるようになった。でも15年後半ではやっとそのスケジュールが少し崩れた。スケジュールが決まってると計画が立てやすいけどね。

この年は8月にシンガポール公演があった。スノーマンにとっては大事な経験だったのではないのかな。その年の夏は休みがなくて日本にもシンガポールにも行かなかった。

SixTONES主演として発表された少年たちにスノーマンの出演も決まった。スノーマンも主演として。初めての主演舞台。10月に就活のために日本に行く予定を無理やり早めて少年たちを見ることができた。そこでずっと待ち続けたNo more wait以来のオリジナル曲を披露した。Snow Manとしては初めてのオリ曲 Zig Zag Love。スノーマンといえばのーもあのようなオラオラ系という認識がまだ残っていたのであんなアイドルっぽい曲はびっくりしましたね。ふっかがアイドルしてる!!というのはどうしても不思議でしたwふっかの歌声もまだほとんど聞いたことはなかった。正直舞台自体のことはほとんど覚えてませんw

書いたように、私は日本で就職することを決めました。周りのみんなは日本に行くんでしょーと思っていたのに私はずっと悩んでいました。いつかは行ってみたいと思っててもこんな遠い国で働きに行くのはそんな簡単なことじゃない。特にフランス人としては休みが少なくてもやっていけるのか自信はなかったです←。でもふっかに会いたい。10年後のふっかはどうなっているのかわからない。2年後もわからない。ふっかとスノーマンは今なんだ。いつか行きたいと思っていたのはいろんな理由があったんですが、すぐ行くと決めた理由はほとんどふっかなんです。

無事なんとか仕事を見つけて少しの間だけフランスに帰った。

 

2016年

ジャニワに行く予定だったけどヴィザの関係で行けなかった。2月に仕事を始めて次の現場が滝沢歌舞伎だった。長い2か月を経ていつか絶対生で見たいと思っていた滝沢歌舞伎をやっと見に行けた。1幕には少しがっかりしたけど2幕のお丸ちゃんはすぐ好きになった。女装なのにかわいい。ちゃんとした女性。セリフもいっぱい。タッキーとのやり取りで本当にふっかとの関係がひとつ上がったと感じた。少し信頼を感じた。ふっかの演技力にも感動した。

まだお金も休みもなくクリエには行けなかった。日本にいるのに大好きなスノーマンの単独ライブに行けないのはこんなにも悔しいことなんだなと。そこから貯金し始めて来年は絶対行ってやると決めました。

サマステ、キスマイは楽しかった。また少年たちに出れた。個人的に16年の少年たちが一番好き。一番感動できる内容だった。

 

2017年

アイランドで見たふっかは好きじゃなかった。集中してない、やる気がないように見えた。祭りのふっかはまた好きなふっかだった。楽しかったけどやっぱりスノーマンの単独ライブが見たいと強く思いました。歌舞伎ではまた大好きなお丸ちゃんだった。17年の歌舞伎は本当に大好きだった。これこそ私の見たい滝沢歌舞伎だった。

クリエの単独ライブにやっと行けた。最高だった。ずっとステージにスノーマンしか立ってない、スノーマンとすの担のためだけの時間、この空間は本当に幸せでした。本当に「幸せ」が一番の感想だった。やっぱこれからもスノーマンとふっかについていく。

気づいたら夏にも冬にもまた単独ライブができた。どれも本当に最高だった。どれも楽しくて幸せしか残らなかった。スノーマンのライブを見てひとつ安心もできた。やっぱり私はスノーマンのファンなんだって。スノーマンが自分たちで作るライブがこんなにも好きなんだから。今まで以上にスノーマンのファンだって心から言えた。

 

2018年

すごくいい年でしたね。ふっかの現場全部行けたのは初めてでした。そしてどんなふっかも大好きなふっかでした。ふっかに不満をひとつも持たなかった年は初めてでしたね。

一番大きかったのは初めての横アリ単独ライブでしたね。大好きなすのーまんの初めての大きい会場でのライブ。なのにチケットは当たらなかったです。こんなに何年も応援してきてるのになんで大事な初横アリは行かせてもらえないの。悔しすぎた。まぁもちろん行きましたけど。本当に幸せな空間だった。最高だった。Snow Dreamというプレゼントをもらいました。泣きました。6人に夢を見ました。

夏のライブもすごく楽しかった。個人的に特別だった理由があります。初めてふっかからファンサをもらいました。ファン歴10年目で。私はいつもアピールが下手でいい席にも中々入れなくて。(外国人はずるいよ目立つからすぐ構ってもらえるじゃんとか思っている方がもしいるとしたら、全くそんなことない外国人もたくさんいますからw)でも初めて最前を当たって、ふっかが気づいてくれた。優しい笑顔で手を振ってくれた。それだけ。でもひとつ夢が叶いましたね。ファン歴また5年伸びました←しかも初めてハイタッチもできて、やっぱ何年ファンをやってもまだまだ初めてがあるのは楽しいね。

秋にふかさくの初主演外部舞台が決まった。本当にびっくりして本当にうれしかった。しかもずっと見てみたかったストレートプレイ。本当に本当によかった。ふかさくの演技がすごくよかったしカンパニーが素敵だったしそもそも作品自体はすごくおもしろくてずっと楽しかった。ほかの4人のメンバーも外部の仕事が決まって、本当にうれしくて、全部見て、楽しかった。ますますこれからのSnow Manが楽しみだった。

Youtubeも始まった年。今まで想像もできなかったジャニーズのYoutube。毎週すのーまんが見れるなんてもう楽しいしかない。数年前に動いてる姿を見るのが貴重だったスノーマンは毎週気軽に見れる。そしてこんなにたくさん見てもやっぱりずっと大好き。ほんと楽しい。そのおかげですのーまんの存在を知ったりファンになった人もたくさん増えました。

タキツバの解散、タッキーの引退は本当にショックだった。間違いなくこの10年間にはずっとタッキーはいました。タッキーがいなければ6人のSnow Manはいなかったのは事実だと思います。私のすのーまんとの思い出にはタッキーがたくさん絡んでいました。

滝沢歌舞伎をすのーまんが受け継ぐと発表された時は本当にうれしかった。タッキーはあんまり褒めるタイプではないけどすのーまんに任せるのは最高の誉め言葉ではないかなと思った。すのーまんは認めてもらってるのかなと思った。何年も携わった滝沢歌舞伎をすのーまんが受け継ぐことを言葉で表せるのが難しい誇りでした。本当に6人が滝沢歌舞伎の最前に立つのが楽しみだった。すのーまんなら絶対大丈夫と不安はなかった。

 

 

すのーまんはずっと「主演」ではなく「メインキャスト」と言われていたのでポスターは発表されていた11人で載るのかなと思ってました。6人だけのポスター、しかもこんなに美しい演出で、はすごくうれしかった。製作発表も。本当にすのーまんは主演なんだな。本当に認められたんだな。

 

2019年1月17日、朝起きて、テレビで新会社とジュニアのライブの発表がさらっと流れて、ツイッターを開いた。すのーまんは増員して9人体制になる。地獄に落とされた。

増員の噂は数か月前に出ていました。その時は不安な気持ちが襲ってきたけど、そんなことはないだろうと、あるとしても歌舞伎の期間限定活動だろうと、不安を払って忘れました。

意味不明。理解不能

認められてなんかいなかった。

 なんでこんなにも悲しくて受け入れられないのか自分でもよくわからないですけど本当に苦しい。

スノーマンはすごく6人にこだわってるようにずっと見えていたので最初は「自分たちで決めました」と言われても信じられなかった。だってふっかは「オレ的には増員も減員もありえなくて、この6人じゃないと意味がない」と雑誌で言ってたくらいですから。私はその言葉を読んだ時すごく安心しました。この言葉が頼りでした。心から信じていた。何かがあってもそれはふっかが決めたことではない。

なのに発表されてから何度も何度も「自分たちの決断です」「スノーマンを大きくするため」とばかり言われて、違和感しかない。今言ってることが本当だとすれば、あの時に言っていたことはなんだったんだろう。私が信じていたことはなんだったんだろう。最初は「6人がなくなってしまうことが悲しい」だけだったのに「すのーまんを信用できない」も追加されてしまった。もうスノーマンのことをどう信頼すればいいのかわからなくなりました。壁ができてしまった。しかも何が本音で何を言わされているのかがいつまでもわからない。だから言われたことをそのまま信じるしかない。でも今言われていることに納得できることがひとつもない。だからずっともどかしい。

ふっかと同じ気持ちで同じ方向に向けられないのは辛いです。同じ夢を見たいです。でも自分に嘘をつきたくない。好きじゃないことは好きじゃない。悲しいことは悲しい。無理して受け入れたくはない。無理して夢を見ることはできない。

 

ずっと6人で同じ苦労して一緒に壁を乗り越えてきた。そこから生まれた絆と信頼が強かった。全員同世代ならではの雰囲気もよかった。それはみすの時代からのグループの個性でもあった。最近は特にファンに対してもすごく暖かくなった。すのーまんは本当に優しいふんわりかわいい居心地がいいグループでした。それはすのーまんのひとつの大きい武器だったと思います。

何年もやってきて人気が急上昇することはなかった。進歩は確実にあったけどいつも遅かった。もうこんな歳。何かが足りない。すのーまんをもっとよくする必要がある。そう思ったのは理解できる。でもね、増員することですのーまんの個性がなくなることはわからなかったのかな。すのーまんをよくする方法はほかにあったと思うよな。

私はこの9人になることですのーまんがよくなるとは今は全く思えない。よくなる要素が全く見えない。

すのーまんはすのーまんじゃなくなる。増員しても何も変わらなければ増員の意味がないのはわかる。でももうすのーまんではない。

名前が変わらないことはひとつの安心ではある。ずっと大好きだったSnow Manがまだいるんだという幻想ができる。Snow Manにさようならを言える勇気はない。弱い。でもこれはもうSnow Manではない。なんで名前も変えてないのか不思議。結局名前を変えてもらったほうが気持ちの整理がしやすい。そしたらこれからもずっとSnow Manが大好きだと言える。

今はSnow Manのファンだと言いづらくなった。この9人のグループは好きじゃないから。ファンじゃないから。でも6人が変わらず好き。私は何を応援しているのかな。

ふっかは大好きでこれからも応援する。5人も大好きで応援したい。でもこの9人のグループは今は応援できない。これから好きになるかもしれない。これからのこと全然わからないから。9人のSnow Manが一番好きと言える日が来るのかもしれない。でも今は無理。できない。辛い。

6人は絶対9人のSnow Manも応援してほしいと思っているだろうにごめんね。ふっかごめんね。期待に応えられなくてごめんね。こんなファンはいらないよね。ごめんね。

 

今書いた気持ちは本当に今この瞬間の気持ちです。発表されてからずっと情緒不安定。もう大丈夫かな応援できるかなと思ってもその数時間後にはまた泣いてることがあったりする。必死に感情を整理しようとずっとしてきた。でも本当にぐちゃぐちゃ。これからもころころ変わるかなと思います。

 

また早く落ち着いて心から楽しいと思える日が来ることを願うしかない…

 

 ふっかはこの10年間でかなり変わりましたね。少なくともファンに見せる姿は結構変わった。でも性格も少し変わったのかな。

10年前のふっかは大体端っこや後ろにいた。グループで話す時はあんまり自分から話すことはなかった。話振られたらメンバーは心配な顔をしてたしファンの間にも不安な空気があった。頼れない最年長と呼ばれていた。

そんなふっかが今MCをやってる。公式的な挨拶は岩本がやるけどあとは大体ふっかが喋る。ふっかがいないと「普段こんなのはふっかがやってる」と言われるほどになった。裏ではふっかがみんなの意見を聞いてまとめてる。まじめな話がある時はふっかが代表になる。

頼れる最年長になった。

(これは間違いなくたまたま先に成人になったことで滝沢くんにいろいろ責任を持たされたから。その上で前に推され始めた。そして3枚目を通して前に出れるようになって話せるようになって自分に自信もついた。ふっかが「今の自分がいるのは滝沢くんのおかげ」と言っているのは過言ではない。確かにそう。でもそれで滝沢くんに対して盲目になりすぎてるのでは…ふっかにはそろそろ滝沢くんから自立してほしいと思っているのは正直な気持ち…)

 

たまには昔みたいにふわふわしてる不思議ちゃんが恋しくなる。ふっかは頼られすぎて逆に重くないのかな。なんでも背負いすぎてしまう。きっと今はいつよりも。そんなふっかを楽にしてあげられるのは5人だけだと思う。

ふっかはいつでもグループを一番に考えてきた。自分の誕生日にさえ「スノーマンをよろしくお願いします」と言う。ふっかにはもう少し自己中心的になってほしいとたまに思う。今は特に思うけど、今こそはならないよなぁふっかは。そういうところも好きなんだけどな。

 

ふっかはよく「愛されキャラ」と言われるけどその言葉に違和感がある。私的にはキャラは作れるものだと思うんですけど愛されることは自分で作れることじゃないと思います。根本的にその人に愛される要素がないと。

ふっかは本当にたくさんの人に愛されていると思う。だからふっかはいい人なんだろうなと。悪いところもあると思うけど、こんなにも愛される人が悪い人なわけないかな。たくさんの人に愛される人はまぶしい。自分とかけ離れすぎて本当にまぶしいです。すごいと思う。ふっかは本当にまぶしい人なんだ。

 

ふっかは本当にかっこいい男性になった。尊敬できる人になった。正直最初のころは好きでも「尊敬」がなかったです。でも今はとても尊敬できるようになった。かっこいい。

 

ふっかが本当に大好き。こんなにも好きになれる人に出会えて運がよかったな。(アイドルで残念でしたw)

ふっかを好きになった時は顔とダンスとアクロバットくらいしか知らなかった。ほんとただの顔ファンです(笑)どんどん知るようになってもずっと大好きでいられた。ふっか以上に好きになれる人はいなかった。ふっかもずっとジャニーズを続けた。やめてもおかしくないタイミングがたくさんあったのにずっと応援できる場所にいた。

ジャニーズJrのひとりを10年間応援していられるのはある意味奇跡みたいですね。自分で言うのちょっとおかしいけどwそもそもジュニアはデビューか辞めるかが主流だったしその上で自分も飽きずにずっとやってるの確率はそんなに高くないかなって。

 

「担当」という言葉は外国のファンは使わないです。その言葉を知った時はすでにふっかのファンでした。今はあとから前に好きだった人たちを元担と呼ぶんですけど本当は担当と呼べる人はずっとふっかしかいなかった。

担当の定義は人それぞれです。自分の定義は実はわかりません。ふっかは私にとって一番好きで一番かっこよくて一番応援したくて一番特別で一番大切で一番幸せになってほしい人です。担当は本当にふっかしかいない。恐ろしいくらい。

愛が重すぎるのは承知してますwほんと反省するんですよーでもなかなか変わらないw

 

長年ファンをやることで特に得することはありません。特にファンサがもらえるわけでもないしチケットが当たるわけでもないし唯一の特権は偉そうにあの頃は大変だったよな~って話せるくらいです。

だから無理してファンを続ける意味ないよな~と最近まで軽く思っていた。でもそんな簡単なことじゃなかったんですね。

何年も自分の生活の一部になっていた人をそんな簡単に過去にできない。

いつかふっかに対して興味がなくなればファンはやめられる。でも今はこんなにも悩んでいるのはふっかにまだ興味があるから。まだまだ大好き。まだまだ笑顔が見たい。まだまだ応援していきたい。

私が大好きだったSnow ManはなくなってしまったのでもうSnow Manのファンじゃなくなった。またいつかなれるかもしれないけど今はその肩書がなくなった。でも大好きなふっかはいなくなってない。まだ理解できなくて壁があって悩むけどふっかはいる。だから深澤担は続ける。しばらくはふっかがかっこいいということだけを考えていこうと思った。今のスタンスはこれです。大好きなふっかの輝くところを見てればいい。

 

いつかふっかのファンをやめる時が来るのかわからない。

でもその時はまだ来ていません。

少なくとも明日もふっかのファンです。

ふっか!!!大好きだよ!!!